フジファブリック「若者のすべて」私の解釈

今週の8月9日ミュージックステーションに初主演となる

 

フジファブリック そこで披露予定の「若者のすべて

 

の歌詞について私なりの解釈、見解を述べようと思う。

 

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結論から述べると私はこの曲は恋愛ソングではないと思っている。

 

その前に私自身のフジファブリックへの立ち位置を述べると

 

別にファンというわけではなく、知っている曲もこの曲と夜明けのビートぐらいだ

 

故人である 志村正彦氏についてもその人間性などほとんど知らず、

 

この一曲だけとても気に入っているということだけご了承願う。

 

この曲一聴すると過去の恋愛を思い返す、せつない恋愛ソングとして

 

考えるのは容易であると思うし、そう思っている人も多いと思う。

 

しかし私の見解ではこの曲は少年時代のノスタルジックな思いを唄ったものである

 

と考えている。

 

真夏のピークが去ったと天気予報士がテレビで言ってた

 

 と私がこの曲で一番の名フレーズだと思う言葉から始まる。

 

歌詞全体通し

 

非常に情景模写が優れていて同時にノスタルジック感が強く表現されている。

 

真夏の終わり、夏休みの終わりというようなとてもきらびやかで切なく

 

名残り惜しい心情が表現されている。

 

私がこの曲は少年時代の想いを唄っていると思うフレーズは

 

夕方5時のチャイムが今日は胸に響いて

 

夕方5時のチャイムという言葉から想像させるのは

 

やはり少年時代、外で友達と遊び、家に帰らなければいけない時間を思わせる。

 

世界の約束を知ってそれなりになってまた戻って 

 

 このフレーズも非常に印象に残る。

 

様々解釈ができるフレーズであるが

 

私はこれは大人になることを意味していると考える。

 

 社会にでると子ども時代とは違う価値観、ルールにとらわれることになる。

 

これが世界の約束だと考える。

 

また戻って

 

というところでこの解釈に疑問に思う人もいるかもしれない。

 

しかし大人になってまた戻るということは、私はかなりしっくりくる表現で

 

社会に属したが、そこから抜け出したり、反抗したいという

 

心持ちを私は非常に実感することが多い。

 

最後の花火に今年もなったな 何年経っても 思い出してしまうな

ないかな ないかな きっとねいないよな

会ったらいえるかな まぶた閉じて浮かべているよ 

 

 このサビが特に過去の恋愛を思うように聞こえるのは確かだ。

 

山崎まさよしの「One more time,one more chance]と少しにている

 

想いにも感じる。

 

しかしこの会えないであろうかこの対象が元恋人と限定できないと

 

私は考えている。 

 

この曲のタイトルは「若者のすべて

 

この言葉は歌詞にはでてこないがこれがこの曲のテーマとするなら

 

必ずしも会えることを望む対象が元恋人や恋愛対象であるとは限らないと思うのだ。

 

昔仲が良かった友人や親友だった人物であると考えられるのではないかと

 

私は解釈する。

 

 

若き日の思い出を美しくノスタルジックに表現したこの曲は

 

聞く人それぞれにある過去の記憶を心地よく切なく思い起こさせるものとして

 

多くの人の心に届く一曲になっているのだと思います。