俺の感性間違ってなかったって出来事

ちょっと前にsound cloudのアカウントが突然消える事件が起きた。

最初は原因がわからず、困惑するだけで

新しくアカウントを作成したのだが、

ある時お店の有線から流れる曲を聞いて驚愕する。

俺の曲が流れている!!

もちろん私が作った曲ではないが、以前私が作ってsoundcloudにupした

曲にとてもにている。

その曲がこれ

 

www.youtube.com

おそらく使っているサンプル音源が一緒だったのであろう。

発表日も私が作った曲より早かった。

もちろんこの曲を聞いたことがなかったので、偶然の一致である。

 おそらくだが、それのせいでsoundcloudのアカウントが消えたのか?

ということでアカウントが消えた哀しさよりも、

自分の感性が間違っていなかったというを

確認できた出来事であった。

 

山田五郎Youtubeが最近始まってその当初からこれは面白いと思っていたところ、

岡田敏夫が自身のYoutubeチャンネルで「山田五郎Youtubeみてますか?」

おすすめしたのである。

それぐらいの経験はまあ誰にでもあるだろう。

だがそんな小さなことでも私は嬉しく拳を握りしめた。

 

ラッパーのZORNは今や武道館公演を行うほどの人気があるアーティストであるが、

これを聞き始めたのも少し早かった。

彼は今の名前になる前ダークネス時代があるのだが、

まあそこは聞いていなかった。

しかし昭和レコードに入ったあたりから彼の曲は聞いている。

当時、私のHIPHOP好きの仲間たちはzornの曲を

家族の愛を唄う元不良のにーちゃんぐらいにしか思っていなかったが、

私は彼のラップのスキルがヤバイことをいち早く見抜いていた。

音楽好きなら多かれ少なかれこんな体験はあるだろう。

だがそのほんのちょっとした先見の明だけでも、

私の自尊心は少し高まったりするのである。

 他にもナルバリッチを聞き始めるのは早かった。

(デビュー当時から人気あったが)

 

そんな中で私が一番自分を褒めてやりたいと思うのは、

ライムスターが好きでずっと聞いていたということだ。

今やライムスターの宇多丸さんは平日夜の3時間を帯でラジオを担当している、

言うなれば、二代目タモリのような存在。

私がライムスターを聞き始めたのは中学生の時、

確かグレイゾーンが発売されそうな時である。

およそ20年前ぐらいである。

当時すでにHIPHOPシーンでは確固たる地位を持っていたし、

一般でもそこそこの知名度はあった。

ラジオも東京FMでやっていた。

その頃からライムスターを聞いてラジオも聞いていた人も

まま結構いるだろうが、

20年追いかけているアーティストがここまで出世したと

いう経験を持つ人は中々ないのではなかろうか。

ということで俺の感性間違ってなかった。

 

 

それいうならずっとHIPHOP聞いてて、フリースタイルダンジョンが流行った時は驚きだったな。

 

 

そういやエガちゃんも好きでPPPやってたころから見てたな。

 

私みたいに少し斜に構えた生き方してた人はよくある話かもしれないが、

もっと誇っていいと思うよ。

 

アド変メールって今送ってる人いるの?

ラインが普及して以降スマホでメールをすることがなくなった。

 

迷惑メール対策でアドレスを変更して以降は

 

アド変を誰にも送っていないので、

 

企業とかに登録したメール以外はこない。

 

そんな状況になり何年たっただろうか。

 

Facebookやlineで繋がっていなく、

 

メールアドレスだけの繋がりだった人との連絡手段は

 

もうなくなってしまったのである。

 

そんな寂しさを持ちながら、

 

ふと今アド変メール送っている人いるのかなと思った次第である。

 

曲をupしました。

soundcloud.com

 

途中どうにもできなくてやっつけになってしまいましたが、こんなの作りました。

Funkな踊れるビートをめざしたのですが。。

 

後初めてYOUTUBEに動画を投稿しました。

意外と簡単にupできるんですね。

 

よろしくお願いします。

www.youtube.com

夢や目標があるのにそれに向かって行動ができない理由

10代前半とにかく昔からラッパーになりたいという夢があった。

 

だったら曲を作るだとか、

 

作曲の勉強するだとか、

 

色々やらなければいけないことがあるし、

 

やりたいとも思っているのに

 

それをやらない。

 

という問題が長年私を付きまとっていました。

 

過去に仲間とグループ組んで曲を作ったこともありましたが、

 

今は一人で製作。

 

なかなか作業が進まない。

 

そんな問題の原因、自己の精神的問題に気づくことができた

 

記事を紹介し、その問題は私の場合なんなのか、

 

どうすればよいのかについて書いていこうと思う。

 

夢はあるのに行動に移れないただのワナビーの問題を

 

解決したのは以下の記事である。

 

iu-connect.com

 

ティーヴン プレスフィールドの「やりとげる力」について

 

紹介されているのだがこの中で語られた

 

レジスタンスという心理的壁の概念に私をはっとさせられた。

 

 端的にいうと私は自己肯定感が強すぎるのである。

 

とかく音楽において根拠のない自信がものすごくあって、

 

曲を作ればすごい作品を作ってしまうと思っていたのである。

 

全く根拠のない自信である。

 

実力が伴っていない自信。

 

だからいざ曲を作ってみると自分が思ったものを作ることができない。

 

自信もあるがプライドもあるので、

 

自分自身に納得がいかない。

 

だから曲作りに向き合えないのである。

 

つまるところ、高すぎる自信とプライドの対立が夢への行動をとめていたのである。

 

このプライドに私は気づかずにいたので長年

 

作曲に取り組もうと思ってもなかなか動けずにいたということである。

 

それに気づけたということで、対処の仕方が組めるようになった。

 

ということである。

 

誰かの参考になればと思い。

 

 

 

【緊張との戦い】私のパニック障害を振り返る 

昔わたしはパニック障害に悩まされていた。

 

今ではほぼ克服し、生活することができている。

 

(関与してると思われる、問題は存在するのだが詳しくはいつか)

 

ということで私のパニック障害の経過、克服までを書いていきたいと思う。

 

 

同じ症状で苦しむ人の助けになればと思います。

 

中パニック症状は始まったのは中学生時代からです。

 

当時の私は人前にでることを好む人間で学級代表をやって集会で

 

みんなの前で話すことも余裕でやりのけていた。

 

緊張とは無縁だったともいえる。

 

当時、私はアーティストを夢見る少年であったのだが、

 

大勢の前でライブするプレッシャーはこんなものではないはずと思い、

 

妄想でステージに立ち、できるだけ自分に緊張をするように

 

イメージをしていたのである。

 

今思えばこれがよくなかったと思う。

 

そしてきっかけは陸上競技会です。

 

私はリレーの補欠だったのですが(タイム的には実はメンバーだったのですが)

 

急遽メンバーの体調不良ででることになりました。

 

その時に緊張でトイレで吐きました。

 

リレーはなんとかやりきりクラスは一位をとったのですが、

 

緊張で吐いたのはこのことが初めてでその後は記憶の限りないのですが、

 

この経験が私を縛る鎖のような呪いのようなものになっていったように思います。

 

中学3年の後半ぐらいから緊張するようなことがあると

 

めまいや吐き気などの体調不良が起きるようになりました。

 

学年集会の発表も体調が悪くなりいけなくなりました。

 

自由に行動ができない体育館で集まる集会や合唱コンクールなどの際

 

などでも体調不良が続くようになりました。

 

しかしそれが終わると嘘のように不調はなくなりました。

 

私はかなり明るい性格で目立つ存在でもあったのですが、

 

私が緊張で体調が悪くなると知っている人は誰もいなかったと思います。

 

保健室には何度かお世話になりましたが。

 

高校へ入学すると不思議とその症状はなくなりました。

 

高校入試も緊張して具合が悪くなったりなどしていません。

 

どうして改善されたかはわかりませんが、

 

高2の頃からまた体調が悪くなることが増えたと記憶しています。

 

夏は自転車登校でしたが、冬は雪のためバス通学。

 

このバスがすごく嫌でした。

 

トイレに行くことのできない隔離された空間にいることが

 

非常に苦痛でバスに乗ると吐き気、めまい、出るわけではないのにものすごい尿意

 

に襲われました。

 

具合が悪かったのでなるべくバス内では人と話さず吐き気と尿意と戦っていました。

 

その体調不良も波があるようで高3ぐらいの時にはあまり症状がなかったはずです。

 

なので高校時代もそのような体調不良があったことを知る人はいないと思います。

 

大学入試も推薦で面接だったのですが、緊張した記憶はありません。

 

その時はうまくストレスに対処できたのでしょう。

 

パニック発作のピークを迎えるのは大学に入ってからです。

 

入学当初は体調不良はありません。

 

ヨサコイサークルに入りお祭りで人前で披露することもなんなくやっていました。

 

そんな中、大学一年後半ぐらいからまた症状がでるようになりました。

 

尿意の症状はなくなったのですが、めまいと吐き気はかなり辛く

 

動悸が激しく、寒気と暑さが同時に身体に感じ

 

壊れて死んでしまうと思うぐらいでした。

 

この時の症状がでるきっかけは緊張ではなく、

 

人がいる所で症状がでて吐いてしまったらどうしようなどといういわゆる

 

予期不安というものによるものです。

 

(その時は予期不安という言葉は知りませんでした。

 

予期不安とは症状がでる不安から症状がでるというものです。)

 

体調が悪く大学にもいけず、家でもずっと寝ていて

 

それでも具合が悪い状態でした。

 

この時に初めてこの症状で病院にいきます。

 

医師からは精神からくるもので負けちゃだめだと激励されたと記憶しています。

 

そこではパニック障害と診断されませんでした。

 

その後少し体調が戻り、大学へまた通えるようになりました。

 

それほど長い期間休んだわけではありません。

 

私は看護大学に行っていたので、講義で様々な医療知識を学ぶのですが、

 

そこで初めてパニック障害というものを知りました。

 

パニック障害の症状がものすごく自分に当てはまり、

 

そこでようやく自分がパニック障害だと自覚しました。

 

なので私は厳密には医師からパニック障害だと診断はされていません。

 

しかし間違いなくパニック障害だったと思っています。

 

 そこからは私は友人たちに自分がパニック障害だということを言うようになった。

 

いつも明るく冗談をいっているふざけた人間だったので

 

おそらくほとんどは半信半疑。ほとんど信じていなかっただろう。

 

それでも私は周りの友達が自分がパニック障害だということを知っている

 

ということでいつでも症状がでたら言えるということはとても安心感を持てた。

 

極少数ではあったがきちんと理解してくれていた者もいて、

 

(私がそう思ってるだけだと思うが)

 

それにより症状がでても大丈夫だと思うことができた。

 

それにより予期不安はほとんどなくなり、

 

自然と症状もでなくなり、

 

今ではまったくパニック発作もでることがなく日々を過ごせている。

 

元々自立神経が弱いというのもあり、

 

その後も自立神経失調のような体調不良が出る日もあるが、

 

長く続くことはなく社会人になり過ごすことができているのである。

 

前述したが正確にいうと自律神経の問題はまだ継続中ではあるが、

 

今回は私がパニック障害を克服するまでの話しとして

 

これで終わりにしようと思う。

 

パニック障害で悩む人へ少しでも助けになればと願う。

 

 

ぬけだすProdaction

ダイエット途中経過報告と私のダイエット方法

anchor.fm

 

Podcast更新しました。

 

ダイエットの途中経過です。

 

始める宣言はこちら

anchor.fm

 

今回は太った理由とダイエット法、途中経過報告しています。

 

ダイエット方法について書きます。

 

基本食事制限はそこまでしていません。

 

間食、お菓子などはほぼ食べないようにしているぐらいです。

 

一番重要にしているのは

 

毎日体重を記録することです。

 

結構これは効果あると思ってて、

 

毎日体重を記録して経過を見ているだけで

 

食べ過ぎたとか、運動しないとと思うことが重要であるのではないかと

 

思っています。

 

意識づけとしてはかなりいいと思います。

 

たしか既存のダイエット法にもこういうのあるはずです。

 

運動は筋トレと有酸素運動を取り入れて行っています。

 

毎日ではありません。

 

それよりも気を付けているのは、

 

一日の活動量を増やすことです。

 

できるだけ座る時間を減らし、

 

カロリーを消費する活動をなんでもいいので行うようにしています。

 

それで少しずつですが減ってきてるのでとりあえず

 

今のところいいでしょう。

 

現在73kg

 

とりあえずの目標70kgまで頑張って継続しようと思います。

 

うまくいかなかったら途中修正していこうと思います。

 

では